分子生物学者の村上和雄氏によると心のさまざまな変化にともなって,遺伝子のスイッチがオンオフとなることについて興味深い仮説を立てている.吉本興業とのコラボも興味深い話であった.笑いによってオンとなる遺伝子を実際発見したということだ.それも論文として発表したとのこと.ついで祈りとそれに関連する遺伝子を検索していくいう問題にも入ったと.残念なことに村上先生はすでに故人でその後の研究については不明.私もこれまでしばしば「祈るしかない」という語を最後に使うを常としているが,それも遺伝子のオンオフがあるのかな.祈りとは何か,アプローチはやはり難しいと.人は様々なことに感謝したりする.そこをとっかかりにして解明していくとのことだ.そういった分子生物学的アプローチをしていくなかで,一つの確信に到達したと.このような分子機構についてはあきらかに「作られた」とおっしゃっている,そうとしか思えないと.すべての生命に共通する項目があり,あきらかに意図をもって作られたと.つくったのは神か仏か?いずれにしてもサムシンググレートとしか言いようのない,なにかそういう存在なのだ,ということだ.
私もタンパク質配列を決定する遺伝子コードはDNA上に存在し,塩基配列3つで一つのアミノ酸をコードすること,そのコード配列はすべての生物種で同じ,したがってすべての生命は共通の祖先を有するということ.そしてそれはmRNAに転写されリポゾームにてtRNAよりアミノ酸が運ばれ,タンパク質が合成されていく.これをセントラルドグマというのだが,その基本原理を得るにいたった実験、分子生物学的研究の概要を40年前に学んだ.そして,それを制御することこそ本質的であることが明らかになりつつある.発生においても細胞すべて同じというわけではなく,それぞれの場に応じた遺伝子の発現が行われているのだ.その調節をなす機構の一つがマイクロRNAである.ところで,今年,マイクロRNAを発見した,2氏にノーベル生理学・医学賞が授与されたと発表があった.マイクロRNAについてであるが,マイクロというのは数十個程度の塩基配列で非常に短いRNAでこれがタンパク質発現の制御という非常に重要な機能を有するということ,マイクロRNAは.タンパク質をコードしているわけではないものの,mRNAと結合することでそのタンパク質の発現を制御しているということ.数千種類あると.マイクロRNAによる機構はその一つの例にすぎず,今後はまだまだまったく新しい制御系が発見されていくことだろう.
さて,マイクロRNAとこのサムシンググレートについて,心のありかたに応じてオンオフとなる遺伝子が存在するということであれば,それによってこのマイクロRNAを動かす機構の一つになるかもしれない.そうした遺伝子が多く同定されていけば,たとえば愛とか初恋の遺伝子なども解明される日がくるのだろうか.
ちなみに,横田南嶺師匠が以前この質問をお受けなられた時に,つまり,サムシンググレートについてどう思われますか的な質問で,その回答としては仏教の立場からはこうした創造主というものの存在を認めていない,ということ.私の記憶は定かではないが,たしか師匠も管長日記で村上和雄先生について語られていた.面識がある様子であった.その中で,すばらしい方であり,遺伝子の不思議についてとてもわかりやすく語ってくれたということをおっしゃっていたと思う.サムシンググレートについては,否定的であった.すべては因縁から生じていると.世の中のこと,その連鎖にすぎない.生命も含めてわれわれ人の成り立ちは五蘊からできており,その組み合わせがいまの自分の存在にすぎない,そして,その実態はない,というのが教えの根本であると.肉体は移ろいやすく,滅び行くのみ.ただ,仏教はもともと古代インドで誕生したものであり,その時代の影響を当然うけている.当時インドはバラモン教が中心であり,かつ輪廻を信じており,死んでも別のものに生まれ変わっていくというのが当時の死生観であった.そして,それは生きていたときになした刧というものによっていると,われわれは,前世の刧というものをひきずっている.ブラフマン:オートマトンという存在があり,それがサムシンググレートになるのだろうか.ではビックバンはブラフマンがおこしたのか?お釈迦様はそう言う存在はないと、はっきりおっしゃっていた。それは生まれで決まらず、その人の行いによって決まると。師匠によると今はまあ、そうだろうと言う事で違和感もないが、当時その時代のインドではこれはまったく少数派であったと言う事。
そういうレベルの話となると,もはやシュレディンガーの猫を思い出してしまう.観測系によって生死いずれでもない状態について,解答のない問題.人生というなかでそういった知見はどのような影響をもたらすのか.私はこの刧からは免れることはできない,ということは正しいように思う.まあ,私が輪廻して前世から来ているのかどうかはひとまず置くにしても,すくなくとも私が自分のこれまでの人生でなしてきた刧の連鎖,悪いこととして生命を殺し,嘘をつきなどなど,おおくの罪状を仏様は指摘されるだろう.師匠の「無関門に学ぶ」でもそういった公案があったと.そのために狐になってしまったお坊さんの話をここから学んだ.狐となって500回生まれ変わったという.いずれにしても無であり空であるのだと.大事な点としては狐となって500回生まれ変わったにしてもそれはそれとしてそう悪くはないのではとも言えるし
・・・何事にもとらわれてはいけない,という師匠のお言葉で終わる.