気持ちをわかろうとするな,ともいうが,もし,それだけであれば,世の中が終わってしまう.世界の終わりがきても,やはり,気持ちを理解するのだ.
完全ではない、人が喜ぶ事をしたいと言う気持ち。それはある。
気持ちをわかろうとするな,ともいうが,もし,それだけであれば,世の中が終わってしまう.世界の終わりがきても,やはり,気持ちを理解するのだ.
完全ではない、人が喜ぶ事をしたいと言う気持ち。それはある。
爆発事故のトラウマに悩む刑事。悩みは相談せよと言うこと。1人ではない,甘えよ,大いに甘えなさい,ということ,それがステップとなること,結局,ひとりで抱え込みすぎるなといっている.結局,人は一人,単独では生きていけない.厳しさもなにも,そういっている.そして,人生の真ん中でもがくのである.ぎりぎり,負けてしまいそうになるのだ.だが,そこで,負けてしまったら,そう,ドラマにならない.奇跡の逆転をするということ,それこそが,主題である.
最後には大逆転.大失敗と大逆転をわけるものは何か.それは,大声でわめきながら,なんといっても,逃げないということ,全力で不器用に闘うのであろう.逃げるか,どうか,それは何から決まるのか,ムシせよ,すべてムシすること.そこで,こころのそこから,おおいなる,何かを得ること,ムシ.原点はどこにあるのか.そこから,放物線を描く,すべて回帰すること,回帰するとはいえ,原点にはもどらないということ,かなり変化,進化しそして自分というものが明らかになると言うこと.
令和8年7月28日午後16:27震度7、熊本の南、八代市など被害。 電気ガス水道がなくなる、ガソリンスタンドに列。そして、スーパーが必死に営業する、まさに不撓不屈の戦いの連続となる。熊本は10年前にも大地震に見舞われた。熊本城もまた被災したとの事。
今回、ショッピングモールでガス爆発、さらに製紙工場でも犠牲者が出た。初期から中盤へ、初動が大切である。このガス爆発、各種悲劇が伝えられてきている。「お金を金庫に入れて置く」と言って店に戻り事故に巻き込まれた方。しかも、上司に言われて、と。これはとても悲惨である。
事故と言うもの、それは原因あり、起きるべくして起きていると。イオンで起きた事故、典型的な二次災害である。避けれなかったのだろうか?
調和について,予定されているものはあるのか.まず,混沌が先か.中国故事の混沌の話は有名.混沌には眼耳鼻口がない,それを憐れんだ別の神が,混沌に眼耳鼻口を取り付けたところ死んでしまった,というような内容.混沌はともかく,いかなるアンテナなど受容器をもたず,また声も出ないもなし.それでは大変よい人柄,という設定であったと思う.それに報いようと別の神が手間暇かけてその作業に取り組んだと.
混沌〜複合状態について.同時多発的にいろいろな事象が生じてくること,まず,複合状態を先に述べた.複合状体にどう対応するか.それにつき一歩一歩進んでいくことの重要性にちついて学んだ.そういった問いかけからの克服していくにはどうするか.複合状態は混沌となってしまうか,混沌から複合状態が生じるのか.
では調和とはなにか.安定と平和のことかもしれない.しかし,それは仮想であろう.安定も平和もないこと,それはどうしようもない.すべての問題を先送りにした結果であろうか.物事の連鎖,因縁によって成り立っていること.すべての事は成るべくして成っている.すべてのありよう,それは結局混沌〜そのなすがままには混沌から調和へと進のである.調和の前提として混沌があるということ.
空について.所詮無であること、忘れてはならない。実体はないのである.調和も混沌も,あえて実体として存在にとどめようとしたとたんに意味がなくなる,と.眼耳鼻口を取り付けたとたんに死んでしまう.なにかを失うと言うこと,本来の姿,実体なき姿であること,仏教でいうところの諸法無我ということ.私なる概念の徹底的な否定である.そもそも,量子力学的世界観,存在の確認つまり測定が不可ということ,シュレディンガーの猫という問題,生きているわけでもなく,死んでいるわけでも無いこと.気味悪いほど一致する世界観があるが,それが真実の世界すなわち,諸法無我と通じていると.
やはり、どこにでもそういう人はいる。一体どうしたものだろう。最も大事なのは協調性と言うことか。認めている一方、反発。厳しさ。忍耐不足か。皆、不完全。あまりに脆い。反省し改めよ。悔い改めるのである。プラスに作用するか、マイナスか。陰陽共存。何もないのだ。素直に、一歩一歩歩き続けていくしかない。
皆、共通かもしれない,自分も.そして,自分は例外であると思っては成るまい.環境のコピーという言葉があると,コピーをし続ける限りコピーする自分,そしてそんな自分こそ常に当事者である。同じ徹を踏んでいたと言うことに気が付かない.いろいろな問題が生じてくるが,なんとも言えず問題があるということ.そして,やはり,そこで問題となるのが,想像力の欠如であるということ.いろいろな状態が厳しく,状態にやられることが多い.混雑している,結局,複合状態になるとどうしようもないのである.状況に飲み込まれてしまう.すると,自分自身が自動化,ロボットのようになりのみこまれてしまう.もはやコピー人間であること.
対処はともかくも耐えること,その一択.ただ,それも諸法無我を知らないことから始まる.私なるものを無いこと.そこに気が付くこと大事である.