gusonの日記

脳外科勤務医.仕事,茶と書,仏教,趣味,その他について独り言です.

法遠不去

あきらめない、やめない、ここを去らない

 

横田南嶺師匠の人生を照らす禅語日めくりカレンダー「日日是好日致知出版社の3日に掲載されている禅語である。また、月刊誌「致知」にその内容の記載があり、先生は詳しく分かりやすい述べてくれていたと記憶している。いつの雑誌か、あるいは先生の管長日記でも延べられていたように思うが正確な日付の記憶ない。

 

その内容。

法遠は修行道場にて師から様々な苦役、今で言ういじめを受けていた。寝る場所から始まり、食事代の請求をされる、薪の代金も支払いを求められたり。何度も追い出されたり。それでも師匠の元を去らなかった。法遠はとうとう師に認められ、師より認可をいただき住職を引き継いだ。

 

先生は解説する。世の中を生きてゆくには、道理にかなうことばかりではない。(中略)しかし、人間の真価が問われるのは、むしろそんな時であろう。去る時の弁解はいくらでもできる。しかし、一言も発せずして黙して忍ぶことの貴さを知らねばならない。(以後略)

 

先生はしばしばこの話を語っていた。その意味するところは何か?まず、耐える事。ただそれだけではない。耐える事の先にあるものを目指して修行に臨まなければならない。法遠もけっして単に耐えるのみではなかった。そこは自分の生存が脅かされる状況であっても、まず迷うなと言う事が第1である。そう言う状況になるといろいろ妄想が膨らみ、あーでもない、こーでもない、など思ってしまう。そこに付け込まれる。現在からみると自分に必要な事のみ見極めそれを一つ一つなしていくのだ。新しい状況に対応する事のみである。

 

法遠こそハラスメント対応のお手本である。黙々と対応し、おそらく、無言であったろう。無言は、周囲の反発を招くか、逆である。むしろ、周囲から一目置かれるであろう。周りが引くのだ.すべて無言で対応するのだ.安冨歩さんの言う事がここでも出てくる。法遠は決して単に耐えるのみではなかったのである。むしろ,それと闘い,一歩すすめた.だから最終的には師からも信頼され,後継者になったのである.アンチハラスメントの提唱である。