本日の管長日記をなにげなく聞いていた.フロ,メシ,ネルの三つしか言わない亭主を三語族と言われたということより話が始まり,そして三語族から思い出した,と続く.「それは三つの言葉でよい」2023年9月4日の今日の言葉にあるそうだ.あとで聞いてみよう.10月2日の私のブログもこれの内容を連想したのは間違いないです.足立老師のお言葉,お寺での相談の態度についてやはり,というか間違いがありました.そして以下3つの言葉だけ話せば良いというお言葉が「ああ,そう」「良かったね」「困ったね」の三つの言葉でよい,ということで私の内容に誤りがありました.失礼しました.謹んで訂正いたします.そこでは,相談にあたっての態度も述べられていました.まずお茶を出すこと.そして肩の力を抜く,坐禅にのぞむように丹田に力いれる.ようするに真摯に話を聞かねばならない,ということ.
師匠はここから,臨床心理学者でおおきな業績を上げた河合隼雄先生の著書「心の処方箋」
より引用されている.結局,人の心などわかるはずはない,ということの説明より引用されている.そして河合隼雄先生の場合も,相談事を持ちかけられると,難しいですな,分かりませんな,と言う回答しかしないということである.結局,答えはない,ということが答えであるまたまた,説教は長びくほど効果は弱いという,短いほどよろしいということも学びがあった.
さすがに私も医師のはしくれ,臨床心理学者に人の心が読める,とは思っていない.なんとなく,こう思っているなと患者さんの心についてあれこれを考えることはあります.当たっている場合や外れている場合などいろいろあります.むしろ,私の勝手な思い込み,それが先入観となってしまうことが危ういのである.答えがないのであれば,あまりあれこれと考えるべきではないのかもしれない.私ども医師は病態の説明,そしてそれに対して必要な治療,まず目的とそれを実現するための方法,合併症など有害事象は説明せねばならない.特に,何を目標としているか.よく話をしないといけない.そこではやはりどうあっても「本当に理解していただけたか」が気になるものだ.多くを語ってはいけないと.話を聞くことが大事,ということは理解している.
また,近年の犯人像プロファイリングということが出てくる.最近のTVや映画の推理サスペンス系ではAIを用いて普通に行っているようで,よく出てくる.そしてもっともらしく結論してくる.これはこれで有効であろうか.
話がばらばらになって収束していかないね.いろいろ混合してしまっている.どうも,わからない,ということをデフォルトにしていくべき,ということのようだ.それでよろしいでしょうか?